芸術競技
現在、「ジュニア作文オリンピック」「子ども絵画コンテスト」「全国スポーツ写真コンクール」などを主催する日本スポーツ芸術協会が、かつてオリンピックにおいて2名のメダリストを輩出していたことをご存知でしょうか。 「スポーツ」と「芸術」というと、一見なんの関連もないように思えるが、実はスポーツと芸術との結びつきは古く、古代ギリシャに始まっています。オリンピアの祭典では、スポーツの躍動美を彫刻や音楽で表現するなど、スポーツと芸術が一体となって開花しました。 近代オリンピックを提唱したクーベルタン男爵は、古代オリンピックの姿を理想として、芸術をオリンピック競技に加えることを希望し、1912年の第5回ストックホルム大会から「芸術競技」として実施をみるに至りました。絵画、彫刻、文学などの「芸術」を競わせ採点して順位を決め、メダルを与えるというこの「芸術競技」は、1948年の第14回ロンドン大会まで続けられました。 日本は、1932年の第10回ロサンゼルス大会の芸術競技に初参加。絵画、彫刻等46作品中、版画の長永治良の「虫相撲」が等外佳作として入賞しました。 続く1936年の第11回ベルリン大会においては、次期東京大会(1940年)に向けての意気込みもあり、作品の内容、点数ともに充実が図られました。合計48点の出品作品の中で、絵画部門において藤田隆治の「氷上ホッケー」が、水彩部門において鈴木朱雀の「古典的競馬」が、それぞれ3位になり銅メダルを獲得しました。また、長谷川義起の彫刻「横綱両構」と、江文也の音楽「台湾の舞曲」が等外佳作として入賞するなど、輝かしい成果をおさめました。 これらは、現在の日本スポーツ芸術協会の前身である大日本体育芸術協会が「競技団体」として主体的にかかわったものでした。 芸術展示
しかし、作品の輸送の難易度の高さや客観的審査の困難性等の問題から、1952年の第5回ヘルシンキ大会から「芸術競技」は廃止され、「芸術展示」として実施されています。以後、オリンピック憲章の規定に従って、開催地の大会組織委員会が、演劇、コンサート、絵画展など、それぞれ特色のある文化芸術プログラムを行うこととなりました。 1964年東京オリンピックで行われた芸術展示は、世界的古美術収集家として著名な当時のブランデージIOC会長をして「ベスト」と言わしめました。 「展示は日本の芸術のみに限定する」「展示はスポーツに関係するものに限定しない」という方針で、美術部門4、芸能部門6を公開。その内容は多岐にわたり、古美術や浮世絵をはじめ、横山大観、前田青邨などの日本画、青木繁、岸田劉生などの油絵に加え、歌舞伎、人形浄瑠璃、雅楽、能楽などが披露されました。日本の芸術文化の発信という意味において、大きな成功をおさめるに至ったのです。 |
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